重慶だより

2022-03-29

歴史と文化

ここは三千年の歴史を誇る、名高い文化的な町――重慶。

読んで字のごとく、重なる慶びとの意味である。

歴史上、四回の築城を経験したここは三回も都となって、「巴文化」の発祥地である。

今から204万年前の旧石器時代のはじめに、ここにはすでに中国最古の人類――巫山人が現れたのである。

重慶は古代から軍事上の要衝であり、商人の集まる町でもある。

紀元前11世紀、巴国はここで誕生し、約800年間続いた。

「渝水」と呼ばれていた嘉陵江はここで長江に合流するため、重慶は「渝」と略称される。

紀元前316年、秦は巴国を滅ぼし、そこに巴郡城(現重慶市渝中区)を築いた。これが記録上、はじめての重慶築城である。

1189年、ここで恭王に封じられた趙惇が同地で践祚した。重なる慶事にちなみ、ここは「重慶府」と名を改められた。南宋末期、モンゴル軍が重慶にある「釣魚城」を攻め立てたが、南宋側は36年にわたってそれを守り続けた。攻城戦のなか、モンケ・ハンが流弾に当たって命を落とした。そのため、ユーラシア各地を攻略中のモンゴル王族たちがハン位継承を争うべく、兵力を撤収した。いわば、「釣魚城」攻防戦は当時のユーラシア情勢を変えたわけである。

1890年、重慶は開港場となった。

1929年、重慶は政令指定都市に昇格した。

1937年11月から、重慶は8年5カ月にわたって戦時の臨時首都となっていた。その間、日本ファシズムが重慶に対して5年間に及ぶ無差別爆撃を行った。極東における反ファシズム戦の司令塔としての重慶では、丸腰の市民たちは徹底抗戦の気概をもって雨あられと降り注ぐ爆弾に堪え続け、中国ひいては全世界の反ファシズム戦の勝利に大いに貢献した。

紅岩村にあった中共中央南方局および八路軍弁事処は抗日民族統一戦線の拡充に力を入れて、困難極まりない歳月の中でも辛抱強く闘争を展開した。

1949年11月30日、重慶は解放された。その後、中共中央西南局所在地や中央直轄市、経済体制改革試行都市、長江沿岸開放都市となっていった。

1997年3月14日、第八期全人代第五回会議の決議によって、再び中央直轄市に指定され、同年6月18日、本格的に中央直轄市に昇格した。

重慶は悠久な文化の伝統と多くの人文主義的蓄積がある。

重慶の巴文化の鷹揚・激情・楽観は「剛」だとすれば、成都を中心とする蜀文化は「柔」と言えよう。両者は相まって絢爛たる文明の開花を見せ、長江文明の一翼を担っている。

重慶の文化は「大」にして「微」にもわたっている。それをつぶさに知っていただくために、浩瀚なる歴史資料に数々の痕跡を見つけること、遺跡を訪れて時空を超えた歴史の声に耳を澄ますこと、市街と自然に入って山や川・峡谷・城郭並びにここならではの風俗を体験することをお勧めする。

美しき山と川の町

ここでは、美しき山と川の町を目指して、全力で都市開発を進めている。

みどり豊かな自然

破壊的な開発をせず、環境の保全に神経をとがらせる。

長江経済ベルトに位置する重慶は、自然環境を守るべく、一貫してグリーン発展のための措置を講じ続けている。

中央の策定した自然環境保全計画および大気・水・土壌汚染の予防・改善に関する国の規範を着実に実施し、主要の環境指数を継続的に改善した。

2020年、重慶管内の長江本流水質は優良とされ、全部で442か所になる採水点はいずれも水質優良である。

年間における空気質のいい日数は333日に達し、PM2.5の平均濃度は五年間で42.1%下がった。

行政の長が川と森林の保全に陣頭指揮を取る制度を徹底し、域内の長江両岸において30万ムーの森林を保全した以外、800平方キロに及ぶ土壌侵食並びに400平方キロにわたる石漠化を改善した。

全市の森林率が52.5%に向上した。

みどり豊かな自然こそ、経済の底力である。

長江の上流に位置する重慶は中・下流の自然環境を守るための重要な地域である。ここには、長江・嘉陵江・烏江・大寧河・阿依河等の河、縉雲山・南山・金仏山・四面山・仙女山等の山、三峡・小三峡・小小三峡・黒山谷等の峡谷、および多くの天然保護区域(湿地保全区・魚類保護区等)がある。

植林活動を展開するほか、農用地や建設用地の土壌の除染、固体廃棄物の処理を通じて、土壌質を安定させた。

3D都市

 

重慶の独特な地勢は、「山に築かれた町・町を流れる川」に尽きる。山と川は重慶その町の有様と文化を形作っている。

アメリカの『ナショナル・ジオグラフィック』誌では、重慶はこのように紹介されている。山、すなわち町なり。町、すなわち山なり。ゆえに「山城」と呼ばわれる。重慶を回るには、普通の地図だけでは用が足りず、3Dの地図が必要とされる。ビルの中を通り抜ける電車や、20あまりの道路を張り巡らす5階建ての立体交差橋は、重慶を正真正銘の3D都市たらしめている。

夜景

 

立体感の際立つ都市外観、キラキラと輝く川の両岸、ライトアップされる橋。夜のとばりが降りると、そのような夜景が目の前に広がるのである。

 

グルメ

 

重慶はグルメの町でもある。国務院による『重慶都市部・農村部の改革・発展を一体化して推進する案』には、重慶を長江上流のグルメ都市に育成すると明記してある。

火鍋

 

重慶の火鍋は業界規模の大きさや、食べる人口の多さ、具材の豊富さ、歴史の長さのいずれも、全国で屈指のものである。早くも2007年に、重慶は中国割烹協会によって「中国火鍋の都」との称号を授与された。

小麺

 

町の隅々に遍在する「小麺」屋に市民が食事のため次々と訪れる。この重慶ならではの風景は、中国中央テレビのドキュメンタリー番組『舌尖の中国』(A Bite ofChina)にも登場している。

重慶料理

舌がしびれるほどの「麻辣」(マーラー)か、食欲のそそられる「酸菜」(サンツァイ、野菜の漬物)で味蕾を刺激している。

スナック

 

種類が極めて多い。「湯圓」、「油酒醸(チューニャン)」、「冷やし餅」、「餅マンジュウ」、「米花糖」、「ザーサイ」、「豆豉(トウチ)」、「桃片」、「豆腐干」、「塩漬けアヒル」等々がある

温泉の町

重慶は世界トップ級の地熱資源を有している。探査で分かった温泉エリアは1万平方キロに達し、その中で温泉の湧出地が146か所ある。

世界的に知られる、レジャー・ケア施設としての温泉リゾートを目指して、重慶は温泉景勝地・温泉ホテル・温泉リゾートを40カ所あまりオープンさせた。国土資源部や国際温泉気候連合から「中国の温泉郷」と指定された。

 

伝統的集落

 

重慶は国家級の歴史文化「名鎮」(23)・「名村」(1)、および市級の歴史文化「名城」(1)・「名鎮」(53)・「名村」(45)を持っている。

観光地

 

重慶は246か所のA級観光地を有する。そのうち、5A級は10か所、4A級は121か所、3A級は81か所。

大足石刻

 

唐のはじめから明・清にかけての1200年あまりの年月を費やしてようやく完成した石像群、世界八大の石窟のひとつ。のべ5万体の石像は生き生きとしており、まるで何かを語りかけようとしている表情である。

武隆カルストエリア

 

「天生三橋」・「仙女山」・「芙蓉洞」からなっている。岩山が橋を形成した「天生三橋」は世界最大規模。「芙蓉洞」はアメリカの「マンモス・ケーブ」とフランスの「クラムーズ洞窟」とともに世界三大洞窟と称される。

南川の金仏山

 

山全体がテーブルの形をしている、世界でも独特なカルスト地形である金仏山は世界自然遺産に登録されている。

長江三峡

 

瞿塘峡・巫峡・西陵峡からなる長江三峡のうち、前二者が重慶にある。瞿塘峡の上流入口である夔門は人民元(第五版)10元札の図案に選ばれている。全長4キロに達する巫峡には12の峰がそびえたつ。その中で、「神女峰」が一番よく知られている。

 

 

 

江津の四面山

 

丹霞地形をしている四面山は世界でも一流の自然景観を持っている。とりわけ滝が見もの、望郷台瀑布は158メートルの落差を持つ。

 

万盛の黒山谷

 

全長13キロに及ぶ黒山谷は、山・川・泉・森・洞等の景観を集めている。その中で、特に滝・浮橋・地溝帯が著名。峡谷の中でマイナスイオンの含有量は11万個/立法センチメートル。

雲陽龍缸ジオパーク

 

山全体が水を貯えるカメの形をしている。世界最大級のガラス橋を有し、エクストリームスポーツには最適の場所である。