中国旅行記②

2025-11-04

中国旅行記②

 

                                                                                                       

四川外国語大学日語学院教師 村瀬隆之


  20029月に初めて中国を訪れた時は、「飲んで、食べて、吐いて、観光して…」という感じで、友達との楽しい旅行で満足できた一方、日本との習慣などの「違い」で嫌気が差したこともある。正直言って「こんな国、二度と行くものか」とも思った。

自分にとっての旅行とは、「非日常を味わい、日本と違う事を楽しむ」、という考えがあるのだが、「日本と違うから行かない」という事で中国に行かないとなると、自分のポリシーに反している気がしたし、何だか中国に負けた気がして悔しく思った。そう思うと、変な闘争心が芽生えてしまい、その「違い」を克服するために、今度は1人で1ヶ月間、中国を旅行する事にした。

20041011日、最初の目的地は北京だ。北京の空港に降り立ち、日本で購入したガイドブックの指示に従い、「北京駅行き」のバスに乗ったものの、「終点だ」と言って降ろされた場所には駅らしい建物は見当たらず、自分がどこにいるのか全く分からなかった。しかし、他の乗客は平然としており、とりあえず他の客が歩いて行く方向に向かっていくと、遠くの方に駅舎が見えた。もう20年以上の前の事なので具体的にどこで降りたのかは覚えていないが、「どこが北京駅行きだよ」とぼやいたことはよく覚えている。日本だったら「駅行き」のバスなら、駅の目の前に止まるのが当たり前だが、日本とは全く違いとても戸惑った。

歩いて駅まで行き、今度はタクシーで日本から予約したホテルに向かう事にした。駅前にあったタクシー乗り場で並んで待っていると、何人もの人が声を掛けてきた。所謂「白タク」の運転手である。しかし、残念ながらこちらは中国語が全く分からないため無視をしていたが、一人のオジサンは、このまま無視を続けているのが苦痛になってくる程、非常に熱心に(しつこく)ずっと話し掛けていた。そのため英語で「中国語は分からない」と言ったが、それでも彼は動じることなく、こちらが聞き取れない中国語で延々と話し掛け続けてきた。さすがにそこまで粘られるとこちらが根負けしてしまい、結局その人の誘いに乗ることにした。このような状況では、必ずお金を多く払わされるという事は認識していたが「これも経験だ」と割り切って、彼の車でホテルまで送ってもらう事にした。これも日本との違いであろう。日本では、このような客引きは禁止されているので、ある意味新鮮な体験であり、また、この運転手さんの「しつこさ」というか「商売熱心」な態度にも脱帽であった。普通なら、断られればあっさり引くものだが、この運転手は、自分の体感では5分近くも話し続けてきた記憶がある。結局、いくら払ったかは覚えていないが、何事も無く無事にホテルまで送ってもらった。

北京は23日だけで、その間、天安門広場や故宮など市内中心部を一通り観光したが、その時に驚いたことがある。今回の一人旅をする2年まえにも北京を訪れているのだが、その時はどこに行ってもほとんど英語が通じなかった記憶があるが、今回は、観光施設はもちろん、マクドナルドのような店に入っても、多くの場所で英語が通じた。恐らくこれは、2008年の北京オリンピック開催決定の影響だと思った。このような時の中国は「凄いな」と感銘を受けたものである。国が一つの方向に向かっていく時の勢いというものを感じた。このような事は、日本ではあまり考えられないため、改めて中国の凄さを感じた。

今回の中国旅行は1ヶ月の予定である。北京の次は西安に行くのだが、西安以降の旅行の話は、また別の機会に…。

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