学生時代の思い出

2025-03-17

学生時代の思い出

四川外国語大学 日語学院 講師 杉浦幹享

 

  わたしは学部生時代は國學院大學文学部日本文学科で過ごしたが、そのころの一番の楽しみは漢文の授業だった。日本人の先生から朱熹『論語集注』の講読と漢文の訓読を教わる授業で、正規のカリキュラムでは2年間の履修だったけれども、それ以降も受講することをお願いして、先生のご厚意に甘えて聴講という形で計4年間もぐらせてもらった。

  その先生は中国哲学の専門家で竹林の七賢の思想を研究していただけあって風変わりな感じで、まるで竹林で清談でもしていそうな浮世離れした人だった。

竹林の七賢は魏晋時代のロックスターのような魅力があり、日本でも掛け軸や絵皿などでよく画題にされる。要するに竹林の七賢は日本人にとってカッコよかったのである。その先生の酔狂な言動は研究を通じて研究対象そのものに憧れて近づいていった結果であろう。

ほかにも大学四年生のころには中国人の先生から中国語で『水滸伝』の講義を受けた。こちらの先生は温厚な中国の文化人らしい先生で片言の日本語であったが深い学識があり、尊敬できる先生だった。

日本文学科の学生は私一人だけで、ほかの学生は中国・南開大学に留学経験がある外国語文化学科(中国語専攻)や中国文学科の学生で、彼らの中国語のスキルは第二外国語で中国語を一年間しか学んだことがない私とは比較にならないほどであった。その授業は中国語で白話文の原文を読むもので、おそらく日本には白話文の辞書がないので第二外国語で現代中国語の文法を部分的に思い出しながら読んだ。

文法をある程度知っていたし漢字があるのである程度なら本文の意味はとれるが、先生が話す中国語がわからない。特に最初のころは、中国語初学者の私にとっては絶望的に思えたが、中国文学が好きな気持ちのほうが勝ったので必死で予習をして紙の中日辞典で授業資料にピンインを書き入れていると、ある日突然先生の言っている内容が60%ぐらい解るようになった。ただし受け身の授業だったので話す訓練は全くしていなかった。

当時の私は周りに中国人の友達もおらず、不完全な中国語力が恥ずかしかったので積極的に中国語の会話の練習をしようとしなかったが、外国語の会話で間違えることは最良の教師であり、なによりも経験値がたまるので、今思えばもっと話しかければよかったと思う。