心で学ぶ言葉3(杉浦幹享)

2024-12-05

心で学ぶ言葉

③文明を共有すること

杉浦幹享

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。」の書き出しで有名な中世軍記物語の傑作『平家物語』では、源氏と平家の間で争われた治承・寿永の乱を次のような歴史認識によって捉えようとしている。

『平家物語』巻第一 祇園精舎】

遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の禄山、是等は皆旧主先皇

の政にもしたがはず、楽しみをきはめ、諌をも思ひいれず、天下の乱れむ事をさとらず

して、民間の愁ふる所を知らざッしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。

近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼〔……〕

(市古貞次訳、日本古典文学全集29『平家物語 一』小学館、昭和48年9月30)

源平合戦は日本有数の内戦であり、例のない未曾有の出来事であった。そこで『平家物語』はまず、中国の歴史を振り返ることで中国の歴代王朝が衰退した原因を分析し、そこから自国の歴史に照らし合わせて歴史の流れを理解しようとしている。

おそらく、このように中国史を例に挙げたほうが日本人にとってピンとくる書き方だったのだろう。確かに、こういう場合に『源氏物語』のような日本古典は和歌の手本として参考にすべき古典ではあっても、歴史的な過去として「昔」を認識する道具としてはあまりしっくりこない。

『平家物語』のように中国史を例に挙げて歴史を把握しようとする日本人にとっての「昔」の認識は、唐代までの中国を「自分の過去」として含んでいたといえる。

なぜなら、日本人のアイデンティティを形成してきたのはほかでもない中国古典であり、中国古典は「日本人にとっての古典」として、多くの語彙の輸入を介して中国人の概念・思想・理想が共有されているからである。

日本文学の歴史はこのような日本人の心を作った「中国」の要素を自らの血肉とし、その模倣と逸脱を繰り返して形成されてきたともいえる。

過去の記事で触れたように竹添進一郎が定軍山の武侯墓で涙した理由はそのような日本人の1300年の精神の歴史にあるのだと思う。