中国旅行記①

2025-06-19

中国旅行記①

村濑隆之

 「汚い、うるさい、臭い」

 

 これは重慶に初めて来たときの第一印象である。

 

 200291日、中国人の友人に招待されて、私と日本人の友人を合わせて4人で、初めて中国を訪れた。日本から広州の町に降り立ち、美味しい広東料理に舌鼓を打ち、次の日は、開発が始まったばかりの深圳の町を訪れた。まだ、空き地が多く驚いたが、それと同時に、至る所が工事現場となっており、大きな発展を予感させた。そして94日、重慶へ移動した。

 

 現在は、江北の空港から解放碑方面に向かう高速道路沿いは、マンションやビルが途切れる事無く建っているが、2002年当時は、高速道路沿いには高いビルは建っておらず、真っ暗な道をひたすら走っていたという印象がある。

 

 重慶は、私の中国人の友人の地元であるため、友人の友人や、友人の仕事仲間などからの「熱烈歓迎、過剰接待」で、飲めや歌えやの“どんちゃん騒ぎ”が毎日続き、どこに行っても「カンペ―(乾杯)、カンペ―(乾杯)」の連続で、「勘弁してくれ」と泣きたくなるほどだった。

 

 しかし当時は、まだ29歳という年齢だった事もあり、夜遅くまで暴飲暴食していても、体力はあったため、昼間は色々な場所へ元気良く観光に出掛けていた。しかし、観光中は別の「勘弁してくれ」と思う事が多々あった。

 

 「ガーッペッ」

 

これは痰を吐く音である。今でも道を歩いていると、オヤジ達が「ガーッペッ」と勢いよく痰を吐いているが、2002年当時は、今以上に酷く、まるで、「大きな音で痰を吐くコンテスト」をやっているのかと思ってしまう程、至る所で痰が吐かれており、その音を聞く度に「汚ねぇな、勘弁してくれ」と思っていた。

 

 「プープー」

 

 これは車のクラクションの音である。今では、この音は当時と比べると、聞く回数はかなり減ってきたが、当時の車、特にタクシーは、“クラクションを鳴らしながら走らなければいけない”という交通ルールがあるのかと思ってしまうくらい、“自己アピール”が酷かった。常に「俺はここに居るよ」、「猛スピードで走っているから避けてね」とアピールしながら走っており、その音を聞く度に、「うるせぇな、勘弁してくれ」と思っていた。

 

 そして、最後の「勘弁してくれ」は、火鍋の臭いである。今も昔も、重慶はどこに行っても火鍋の店があり、店の近くを通れば、あの唐辛子と油が混ざったような独特な臭いが漂ってくるが、当時は、その臭いを嗅ぐだけで吐き気を催すほど苦手だった。そのため、その臭いがしてくると、「臭せぇな、勘弁してくれよ」と思っていた。

 

 重慶に、5日間滞在した後、成都や北京などを観光し、2週間の初めての中国旅行を終え、日本に戻ったが、当時は「これが最初で最後の中国」だと思っていた。元々、少し潔癖症な自分でもあったため、「汚い、うるさい、臭い」中国なんて、もう二度と行かないと本気で思ったからだ。しかし、今では最高に居心地が良く、快適に重慶で生活をしている。

 

 なぜ、二度と行かないと思っていた中国に住んでいるのか。その話は、また今度。