心で学ぶ言葉1(杉浦幹享)

2024-12-05

心で学ぶ言葉

①明治の外交官 竹添進一郎と中国

杉浦幹享

1876年、明治の外交官として中国を訪れた竹添進一郎(たけぞえ しんいちろう:1842~1917、光鴻あるいは井井と号す)は、清末の中国人の暮らしを視察するために同僚の 津田 つだ 静一 せいいち、北京生まれの中国人侯志信を道案内として北京を出発して河南・陝西・四川に到り、重慶から長江を下って上海に出る旅をした。彼はもともと漢学者であったから、普段から学びの対象としてきた中国を訪れることは彼にとって夢心地であったに違いない。彼は陝西省 定軍山 ていぐんざん 諸葛 しょかつ りょうの墓を訪れた時にこのような詩(七言絶句)を残している。

武侯墓( こう はか

竹添 たけぞえ せい せい

幾回過湊河(涙を すすぎぎて 幾回 いくかい 湊川 みなとがは ぎ、)

定軍山下又滂沱( 定軍 ていぐん ざん 、また 滂沱 ぼうだせり。)

人生勿作読書子( 人生 じんせい 読書子 どくしょし なかれ)

到処不勝感慨多(いたるところ 感慨 かんがい おほきにたえず)

この詩に拙い訳を載せよう。

「かつて涙を流しながら鎌倉時代末期の日本の忠臣 楠木 くすのき 正成 まさしげが戦った 湊川 みなとがわを渡ったものだが、いま定軍山を訪れてここに眠る諸葛亮を思うとまた涙があふれるほど流れ出た。書物の上の知識で終わる生き方などしないほうがよい(だから旅に出て世界を観よう)。世界はいたるところに感動に満ち溢れており、このような歴史に触れて私の心は感動を抑えられない。」

竹添は中国を訪れて、憧れの諸葛亮が眠るその場所にいる感動を中国語の詩として残したのである。漢詩は古典中国語文であるから、この詩の巧拙を評価する力は筆者にはないが、彼が歌った感動はまさに中国に住む日本人である筆者の思いを代弁し尽している。中国に「心の故郷」を感じるのである。

竹添が日本人として楠木正成に涙する気持ちはひとつの小さな愛国心であるが、日本人として中国の諸葛亮に涙する気持ちはそうした小さな愛国心を超えた「心の故郷」としての文明への愛であり、それは国単位ではないより大きな人類への愛であろう。

こうした感動を呼び起こせる詩は、ある意味では現代の写真などよりよっぽど高い解像度で人の心を記憶できるものかもしれない。