2017年西安の旅②

2026-04-27

2017年西安の旅②

杉浦幹享

2017年に初めて中国に来た時、西安外国語大学に勤める先輩たちの案内で西安市街地のちょっと高級な中国料理店で初めてトマトの卵炒め(西紅柿炒蛋)をいただいて感動したことをまだ鮮明に覚えている。日本ではイタリア料理を除いて、トマトはサラダとして生食することが多いが、本場の中国料理の体系にはトマトが食材として炒め物や鍋の具材など様々な用途に用いられていることを知った。中国料理では食材の扱い方が洗練されているように感じた。

レストランの席で炒飯を待っている間、人生で初めて「本場の中国料理」を食べられることに感激していた。日本でも中国料理を日常的に食べる日本人にとって「本場の中国料理」には強い憧れを持っている。たとえば日本のインターネット掲示板ではいつも炒飯の作り方について議論が交わされているのであるが、それは「我々日本人が食べている炒飯は真の炒飯ではない」という「真の炒飯」への崇拝に近い理想視が見られると言ってよい。日本人は中国の炒飯のようなパラパラした食感を粘り気の強い日本のコシヒカリで再現することを研究しているのである。そのような話をすると、それを聞いた中国人の先輩はニコニコと笑っていたが、日本人の先輩は私に「中国の炒飯はやさしい味だよ」と言った。給仕の人が炒飯をテーブルに置くと、それは日本の中華料理店が出すような化学調味料が使われた炒飯ではなく、母の手料理の炒飯によく似た、シンプルな味付けのやさしい炒飯だった。この事実は私がこれまで抱いてきた「真の炒飯」への信仰を打ち破るのに十分であり、シンプルな炒飯こそが原点にして頂点であることを知った。これは大きな発見であった。

私もおいしい本場の中国料理を食べられて幸せなのであるが、長年中国に住む日本人にとってはある悩みが生まれてくるようだ。

西安外国語大学の日本人の先輩は私に「日本のスーパーや100円ショップなどで売っている魚の缶詰をいくつか持ってきてほしい」と依頼なさったので、私は彼の依頼に応えて魚の缶詰を彼に渡した。そのときその先輩は「西安は内陸だから海の魚を食べる機会が少なくて、日本人としてどうしても海の魚が恋しくなる」と仰っていた。

確かに言われてみると、現在重慶に住んでいる私自身も肉に飽きて魚が食べたい衝動に駆られる時がある。そういうときはソウギョ(草魚)などを食べるのであるが、やはり恋しくなるのは海の魚だ。海の魚は日本の食文化で欠かせない食材であり、魚を食べて育ってきた身体がその味を求める気がする。

刺身や寿司といったごちそうよりも、日本人が家庭料理として日常的に食べる焼き魚や煮魚が恋しくなってしまうのは、日本人の海洋民族としての血がそのように感じさせる気がする。



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