救援活動を通じて生命への尊重、信頼されることの大切さを見た——トルコ地震の救援現場で通訳を担当した本学の学生

2023-03-31

救援活動を通じて生命への尊重、信頼されることの大切さを見た

トルコ地震の救援現場で通訳を担当した本学の学生

 

 今回のトルコ地震で最も大きな被害を受けた地域――アデヤマン市での7日間連続の救援活動を終え、219日、本学トルコ語専攻の学生王文琪さんは留学中のイスタンブール大学へ戻った。

 中国藍天救援隊と共に被災地で過ごした日々はよく頭の中によみがえってくるという王さんは、その間、隊員の「口」と「耳」として、できる限り助けを必要とする被災者に手を差し伸べていた。

ボランティアの通訳として

「中国救援隊と他の救援隊との円滑なコミュニケーションを保障することが私の最大の責任でした」

王文琪さん(左端から一人目)と他のトルコ語通訳ボランティアたちによる記念写真、出発前の空港にて

 

 今年大学三年生になった王さんは、20229月から本学と提携しているイスタンブール大学の語学センターでトルコ語の勉強を始めた。地震発生の4日前にトルコ語のC1試験に合格したので、2週間の休暇に入っていた。

 「イスタンブールは震源地から離れていたので、大きな影響を受けませんでした。地震発生後、被災地の状況を見守る人々は、みな何かをしようと思っていました」と王さんは言っている。

 ある日、イスタンブールにいる中国人留学生たちのSNSにアップされた、被災地に向かう中国の民間救援団体によるトルコ語通訳の募集情報を見て、彼はすぐに応募した。その翌日、トルコに着いた藍天救援隊とイスタンブール空港で合流し、被災地に向った。

 救援隊に同行する通訳として、彼は最初に東部のマラティア県に向かったが、2日後にはもっと深刻な被害を受けたアデヤマン市に派遣された。

 実際、翻訳の仕事は救援隊が出発する前にすで始まっていた。救援現場に関する情報の把握やそこへの移動手段の確保等のため、事前にトルコの行政部門に協力を要請する必要があったからである。一方、現場に着いてからは、現地の住民や警察、その他の救援団体との意思疎通に通訳が欠かせなかった。

 現地の人々の協力が必要な時は、中国側救援隊の意見をきちんと伝えるのがまさに王さんの仕事だった。「たとえば、音声探知機を使う時は、静かにしていてくださいとまわりの人々にお願いしました」。そして、掘削机の運転手さんに、救助隊の望む角度や方法でショベルを動かすようかわりに指示を与えることや、必要な材料・地元の人々の手助けを要請すること等々である。

 「中国救援隊と他の救援隊との円滑なコミュニケーションを保障することが私の最大の責任でした」と王さんは振り返っている。

救援現場での体験

「お疲れ様でした。助けに来てくれてありがとう、どうぞ休んで」

被災地で火を起こして暖を取る王さん(右端から四人目)と国際救援隊員たち

 

 「地震を間近に感じたのは初めてでした。生命への尊重、信頼されることの大切さを実感させられました。」王さんはその間の感慨を述べている。

 アデヤマンの傾きかけた建物に生存者がいる、と地元の人々からの通報があったが、何度も確認した結果、ひとりの男の子が階段の手すりの下敷きとなって死んでいたことが判明した。

 それでも、藍天救援隊は地元の救援隊と力を合わせて、まず建物が更に傾かないように突っ張りを支った上で何度も中に入り、男の子の体にかぶさっていた手すりを切断して、その亡骸を抱え出した。

 「その瞬間はとても感動的でした。生命への最大の尊重が現れたから。」王さんは思わず泣けてきた。

 被災地に行く前、「食べ物や水などはあるのかな」と心配していたが、現地に着いてからは、そうした不安はすべて消えてしまった。

 現場に向かう時は、救援隊員たちは負荷を減らすため装備だけを持っていったが、宿営地に戻った時は、いつの間にかポケットはお菓子や飲み物でいっぱいだったと気づいた。地元の人々にもらったものだった。  

 王さんに特に印象的だったのは、寒い現地の夜に、火を起こして暖を取っていた被災者たちは、救援隊員が来るのを見て、火に近い温かい場所を開けてくれたことだった。「お疲れ様でした。助けに来てくれてありがとう、どうぞ休んで」とひとりの白髪おばあさんは王さんの手を取りながら言っていた。

 

隊員たちとの友情

「悔いを残さないよう、毎日ベストを尽くします」

 短い付き合いだったが、王さんは救援隊のおじさん、兄さんたちと深い絆を持ったのである。

 「チームに貴州から来たひとりのおじさんがいて、もう50歳近くなのに、いつも先頭を走っていました」と王さんはまた回想しはじめた。しかし、ある朝現場に着いたらは、おじさんはがれきのほうには行かず、ずっと休憩場所のいすに腰をかけていた。近づいて聞くと、おじさんは少し照れくさそうに、連続の救援活動でよく薬を飲む時間を忘れていて、最近高血圧がひどくなったので、他の隊員に迷惑をかけないよう休んでいる、とわけを話した。

 昼頃になって、仲間たちが戻ってきた時は、そのおじさんはすでに食べ物や水の用意を整えていた。「救援活動に頑張っている皆さんには、体の都合で着いていけませんでしたが、せめて食事の用意ぐらいはと思いましたので」と当のおじさんが言っていた。

 一方、国内の各地から来た救援隊員たちは、王さんのことを「通訳」、「にいさん」と呼んだりしていた。休憩して雑談をする時、救援隊員たちはよく家族のように、安全で楽しい留学生活を送りなさいと念を押したのである。

 「命は脆いものだ」と感じた王さんは救援現場で、国境を超える愛をも実際に見たのである。現場に着いた度に、彼にトルコ語がわかると知った地元の人々は必ず、「様子はどうでしたか」「まだ生きている人はいますか」と聞いてくるのだった。

 「これからもしっかりとトルコ語の勉強に精進して、語彙力や読解力をあげたいと思います」と言った王さんは、トルコでの留学が終わって帰国してからは、社会実践の仕事に参加し、自身のコミュニケーション能力を鍛えるとともに仕事の経験も積みたいと抱負を語ってから、「悔いを残さないよう、そしていつでも起こり得る不測の事態に備えるためには、毎日ベストを尽くしてまいります」と結んだ。