PCR採取チーム:四川外大での15日

2022-11-30

PCR採取チーム:四川外大での15

 

 朝6時、夜が明けたばかりに、車の回転灯がキャンパスの静けさを破った。そこから防護服を着た医療スタッフは素早く降りてきて、手際よく物資の運搬や配布を始め、PCR採取に備えて着々と準備を進めた。これは、彼らが四川外大でPCR採取を開始してからの15日目だった。

108日、本学にコロナ感染者が出た。重慶市政府・沙坪壩区政府・重慶市教育委員会・重慶市疾病予防コントロールセンター等は、感染状況を注意深く見守ってくれた。とりわけ沙坪壩区政府は同区衛生健康委員会に、「四川外大PCR採取チーム」を緊急編成するよう指示した。そこで、沙坪壩区中医院の周偉副病院長が同チームの責任者に指定され、同病院・沙坪壩区人民医院・天星橋社区衛生サービスセンターからは医療スタッフ計52人が選ばれた。 

 

すぐに駆けつけた――「それは当然の責務!

 周副病院長はこのように語っている。

 

四川外大に来てもう半月になりました。私たちは協力し合い、強い実行力ですべてのタスクを順調にこなしてきました。PCR採取にあたる団員たちは、みな各病院から選抜されてきた中堅であり、コミュニティの大規模PCR採取に従事した経験を持つベテランも多くいます。とにかく、私たちのチームはマニュアル通りに検査を実施しており、感染予防対策も徹底させています。

  貴大学でのコロナ感染状況について、政府だけでなく、すべて教職員、学生及びその保護者が懸念していたので、速やかにPCR検査を実施し、感染源を突き止め、行動制限を敷く範囲を定めるのは緊急課題でした。学生と教職員及びその家族は人数が多くて、それに学生寮と教職員宿舎が互いに離れているため、物資の配分や団員の配置、PCR採取ブースの設置等は難しかったです。

 

命令を受けてから、52人の医療スタッフはすぐにも駆けつけた。下番したばかりで身の回り品の用意や家族との別れにも間に合わなかった者や、生後数か月の赤ん坊を家族に託した者、新婚早々の者、年老いた両親を家に残した者等々でした。誰一人としてためらった者がいなかった。「医療関係者として、それは当然の責務だとみな思っていたからだろう」と周副病院長はさらに感慨深げに言った。

 

連続作業――昼夜を問わぬPCR採取

 キャンパス内での全員PCR採取は何度も行われた。「特にコロナ感染者が出た直後の段階では、感染状況を明らかにすべく、数時間以内に全員に対する採取を終わらせなければなりませんでした。そして、濃厚接触者や健康コードが赤表示になった者に対しては、それぞれの家または学生寮部屋に行って単独に採取する必要があった」という。バブル方式が取られたので、団員たちの活動範囲はキャンパスとホテルに限定されていた。そして作業は24時間態勢で臨まなければならなかった。

 

 「沙坪壩区人民医院の胡雅・何沁芳・康先瓊・苟代玉・潘琳、沙坪壩区中医院の李潔・侯梅・王群、沙坪壩三院の陳紅衛・湯琳雪・王穎・徐成・熊明等々がいた」と周副病院長は団員たちの名前を並べている。「みな同じ病院に所属していたわけではないですが、一つのチームとして力を合わせています。物資管理を担当しているのはほとんど女性です。彼女たちは朝から晩まで防護服・消毒用品・試薬、綿棒などを箱ごとに運んでいますが、弱音を吐いたことは一度もなかったです」と、痛ましい彼女たちの姿に副病院長は感心している。

 「マスクを外して口を開けて」。桂園1棟前PCR採取ブースで、看護婦の曽琪さんはこのようにてきぱきと一日に何百回も繰り返す採取をこなしていた。しかし、1016日から気温が上がり、防護服を着ての作業はたいへんだった。顔にはマスクの跡がつき、ゴム手袋の中は汗ばんでしまった。防護服を着てボランティアとして作業補助をしたある教員は、「風通しの悪い防護服を何日か着ていて、その間首も手足も自由に動けなかったので、医療スタッフの大変さを痛感させられました。強い責任感と信念がなければ、彼らはとても自身を支えることができなかったでしょう」と感嘆していた。PCR採取を終えた昼頃、彼らはあまりの疲れでそのまま地面に横になったこともあった。曽琪さんが机に突っ伏して眠っていた姿がSNS上に投稿されて、「本当にお疲れさまでした」という撮影者の言葉も添えられた。こうした感動的な瞬間はみんなの心を動かした。誰でも時間通りに、そして秩序よく採取を受けた。それが四川外大を守ってくれている彼らに対するせめての感謝の表明だからである。

 

 

愛に満ちた四川外大──「私たちはチームなのだから」

 四川外大に入ってからの半月、周副病院長は「安」「蘭」「松」と並ぶ本学の学生寮の名前と位置を熟知し、まるで生粋の「四川外大人」のようになった。「まだ行ったことのないところも多くあるが、地図そのものは頭に入っています」と彼は笑って言った。取材中でも彼は絶えず電話に出ていた。31カ所のPCR採取ブースに人員・物資・車両等を随時調達する必要があるが、それらはすべて彼の頭の中に刻印された地図そのものに依存している。

 半月の間、劉麗・趙紅梅・蔣余霞・陳璐・彭陵の5人は各自の持ち場で誕生日を迎えた。四川外大での任務を終了した日は、ちょうど彭陵の50歳の誕生日だった。本学コロナ対処指揮部PCR検査チームのリーダーである何燕と楊俊は、彼にバースデーケーキと花束を贈り、そして14日間本学でPCR採取に従事した彼の同僚のため、簡単な歓送パーティーを開いた。「この間、家族と一緒に過ごすことができなかったが、今日はこれまでの人生で一番忘れられない一日でした」とみな喜んでいた。

 四川外大に来た初日に、自身の率いたチームと本学指揮部は協力して深夜までに31カ所のPCR採取ブースと37カ所の検査台の配置場所を決めたと周副病院長は回想している。「その日は小雨で、気温も比較的低く、特に山腹にある西キャンパスのほうではほんとうに寒かったです。急いで来たものだから、シャツ1枚しか着ていなかったです。苟朝莉副書記はそれを見てすぐコートを買ってくれました。鄒渝書記も事務室からコートを持ってきてくれました。心温かくなりました。突如のコロナ感染でしたが、四川外大は迅速にかつ秩序よく行動を起こした。私たちは大学の責任者、幹部、ボランティア等から責任と愛を感じました。教職員と生徒が共に困難を克服しようとした決意と行動にも感動を覚えました。」

 「ともにコロナと戦った半月の間、我々は無事にPCR採取の任務を果たし、四川外大の教職員・学生とも深い友情を結びました。教育と衛生は緊密に連携しているものだから、封鎖解除の後でも、公衆衛生上の緊急事態に関する対策と模擬訓練をともに実施することが考えられます。四川外大が一刻も早く原状に復帰し、さらなるご発展を遂げられるようお祈りします。」と周副病院長は結んだ。